極鬼舎
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1971年から72年にかけて大量リンチ殺人などを起こした連合赤軍事件の主犯として、死刑が確定し、東京・小菅の東京拘置所に収容されていた元最高幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚(65)が5日夜、死亡したことが法務・検察関係者への取材でわかった。
病死とみられる。
確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、千葉県印旛沼などで仲間2人の殺害を指揮。群馬・榛名山中の山岳アジトに潜伏中の71年12月~72年2月には、「総括」と称し仲間を殴打して極寒の山中に放置するなどの残忍なリンチを繰り返し、女性4人を含む計12人を殺害、遺体を山に埋めるなどした。永田死刑囚は、殺人や死体遺棄などの罪に問われ、82年6月、1審・東京地裁で死刑判決を受け、東京高裁も86年9月に1審判決を支持し、控訴を棄却。93年2月に最高裁で上告が棄却されて、死刑が確定した。
-読売新聞-
昭和46~47年にかけて起きた一連の連合赤軍事件に絡む大量リンチ事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定している元連合赤軍幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚(65)が、持病の脳腫瘍(しゅよう)が悪化し、面会者が訪れても相手が分からないほど病状が悪化していることが11日、分かった。元赤軍メンバーら関係者らによる集会で明らかにされた。
一方、集会にはハーグ事件などで懲役20年の高裁判決を受け上告中の日本赤軍元最高幹部、重信房子被告(64)も「生きて再会を念じています」などとするメッセージを寄せた。
集会は2月上旬、京都市で開催。元日本赤軍や元連合赤軍、よど号グループのメンバーと支援者ら約40人が集まった。
永田死刑囚は昭和59年に手術を受けた。さらに数年前に再手術もうけ、一時は危篤にも陥ったこともあるという。現在はやや持ち直したというが、視力をほとんど失ったうえ、面会者が訪れても誰かを認識することも難しい、厳しい病状となっているという。
判決などによると、永田死刑囚は組織を抜けた仲間2人を絞殺したほかリンチで仲間11人を殺害、1人を死亡させるなどしたとして、平成5年に死刑が確定している。
集会ではこのほか、平成8年にネパールで拘束され、アメリカで服役している元赤軍メンバー、城崎勉服役囚が白内障と緑内障を併発。しばらくは医療環境が整わなかったため、一時は失明の危機もあったことも報告された。
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赤天の霹靂
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