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東京・千代田区の法政大学で無許可でデモを行ったなどとして過激派の学生ら6人を逮捕

20090424-00000813-fnn-soci-thumb-000.jpg 東京・千代田区の法政大学で24日午後、過激派の学生ら6人が、無許可でデモを行ったなどとして警視庁に逮捕された。
法政大学文学部を無期停学中の22歳の学生ら6人は24日午後、法政大学市ケ谷キャンパス前の路上で、無許可の集会を行い、東京都公安条例違反などの現行犯で逮捕された。
集会は午前9時すぎから始まり、中核派の学生らおよそ170人が参加し、200人余りの警察官ともみ合いになって、キャンパスの前は一時、騒然となった。
法政大学では、3年前ほどから停学処分などをめぐって、大学側と中核派の学生らが対立していて、24日の逮捕者をあわせて、これまでに学生ら94人が暴行容疑などで逮捕されている。
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麻生…

000.jpg このおっさんはヘタなお笑い芸人より俺を笑じゃしてくれる。
 空気が読めないというよりは、字が読めない。
 どういう手段を使って政治家になったんだろう。不思議で仕方がない。

 

【さらば革命的世代】第3部(2)闘争の舞台はネットへ

■暗黙のルール

 「
全共闘史」のなかで、11月22日は記念日の一つなのだという。昭和43年のこの日、東京大学の安田講堂前で「東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会」が開かれ、両大学の全共闘が合流したとされる。今年、40年後の記念日に日大全共闘のOBたちは、安田講堂にほど近いホテルの宴会場で同窓会を開いていた。

 乾杯の音頭をとったのは、日大
全共闘の元議長、秋田明大さん(61)。瀬戸内の島で自動車修理工場を営む秋田さんが上京することはめったにない。

 「こういう場に立つのは40年ぶり。私がそうだから言うわけではありませんが、みなさんも紆余(うよ)曲折しながら頑張ってこられたと思います。とにかく、あさってではなく、明日に向けて頑張っていきたいです」

 短いあいさつだったが、元闘士たちは満足そうに拍手を送った。周囲から声をかけられるたび、秋田さんは丁寧に頭を下げた。

 会場を訪れたのは、日大だけでなく、東大、早稲田大などの元闘士ら約90人。会場にはプロジェクターで当時のモノクロ映像が
された。バリケード、立て看板、ヘルメット…。若き日の映像を前に、白髪の元闘士たちが興奮しながら順番にあいさつに立つ。

 「最近思い立って、地域の環境運動などに取り組んでいます。私の闘争の原点は日大闘争です」「ここに来ると考えただけで、久しぶりにデモにいくような高揚感がありました」…。中には、「人生のなかであんなに面白い時間はなかった」と話した人もいた。

暴徒か知性の反乱か 東大生も関心抱く40年前の運動

■「今も見えない」
 11月23日、東京大学駒場キャンパス。定員350人の教室は立ち見が出るほどの盛況だったが、その8割近くが
団塊の世代だった。学園祭企画で開かれたシンポジウム「今、語られる東大、学生、全共闘」。ジャーナリストで東大特任教授の立花隆さん(68)のゼミ生らが企画したものだ。
 壇上に上がったのは、最首(さいしゆ)悟さん(元東大助手共闘)ら3人の元闘士。最首さんは「若い諸君には分からないと思うが、当時の教授は恐ろしい存在だった。その権威を壊したのが
全共闘。大衆団交で、なぜ研究するのかという問いにきちんと答えられた教授はほとんどいなかった」。
 別の元闘士は「今の状況なら学生運動はしてなかった」「壇上から何かを訴えることは快感だった」と当時の心境を告白。現在は弁護士という元闘士は、今の学生について「シューカツという言葉があるが、大学が労働力を商品として自己形成するだけの場所になっている」と分析した。
 立花さんは昭和44年1月の安田講堂陥落の現場に立ち会った一人でもある。文芸春秋を退社し、東大に再入学していたころで、「学生兼ジャーナリスト」の立場で報道腕章を付けて取材したという。立花さんは「東大闘争がそもそも何だったのか。あるいは、あの時代は何だったのか。当時は自分でもよく見えなかった。今もそうであり、今日もそれが見えているという立場でもありません」と話し、さらにこう付け加えた。

「ピンク大は前へ!」大学で序列化…学生運動も学歴社会

20081227-00000586-san-soci-view-000.jpg 「機動隊が来たら、『ピンク大のやつらを前に行かせろ、ピンク大は前へ』なんて叫んでいましたね」。同志社大学全学闘(全共闘)のメンバーだった元闘士(60)は大学紛争時の“学閥”について興味深い話を始めた。

 ピンク大とは桃山学院大学のこと。「桃」の頭文字から、そう呼ばれていたが、逮捕の恐れのある危険な場所に他大学のメンバーを行かせ、いわば「人身御供になれ」という乱暴なかけ声だった。

 元闘士によると、関西の場合、入試の難易度順そのままに、作戦立案は京都大の学生で、現場指揮官は同志社大、前線には桃山学院大やそのほかの学生が出て行くことが少なくなかったという。

 「権威」に反発し、「大学解体」まで叫んだ彼らが、現実の闘争では「大学名」を前面に出す。

 このエピソードには「自分たちの闘いに、そのような序列はなかった」と反論する全共闘OBもいる一方、「全国全共闘のトップが、東大出身者だったという事実が、われわれもまた学歴社会につかっていた証拠だ」「セクトの細分化が進むにつれて大学による序列が次第にできていった」と分析した人もいた。

 今となっては正確な事実の検証は難しいが、当時を知る警察OBは「運動の指導者は国立大の学生に多く、われわれとしても逮捕したら起訴に持ち込みたかった」と振り返り、こう指摘した。

 「前線の『兵隊』なんて一晩留置されて釈放されるケースも多かった。指導者たちもそこが分かっていたからこそ、前線に無茶をさせ、自らが逮捕されれば、組織が壊滅させられるほどのダメージを受けると考えていた。結果として彼らの内部にも大学による序列化のようなものが生まれたのではないか」

 東大・安田講堂の陥落から約10カ月が経過した昭和44年11月5日、山梨県内の山荘「福ちゃん荘」で、宿泊中の赤軍派メンバー53人が凶器準備集合罪などで一網打尽に逮捕される「大菩薩峠事件」が起きた。

 赤軍派はその2カ月前に東京・日比谷公園で行われた全国全共闘結成大会で初めて登場した新左翼の最過激派。彼らは首相官邸占拠計画を立案し、大菩薩で軍事訓練をしようとして警察当局に見破られたのだ。当時、全共闘運動は下降線に入っており、運動から距離を置く学生が増えていた半面、さらに過激な行動に活路を見いだすグループが出始めた時期でもあった。

 この赤軍派の組織構造について、ハワイ大学のパトリシア・スタインホフ教授は、その著「日本赤軍派」(1991年)の中で社会学的視点から分析している。着目したのは、事件で押収された組織図のノート。トップには一流大学出身者ばかりが並び、次いで書かれたサブリーダークラスには、入学難易度の高くない私大の学生たちが記載されており、最底辺には青年労働者や高校生の名前が記されていた。

 スタインホフ教授は「あたかも日本のビジネス界の縮図」と表現し、「赤軍派は国家権力打倒をめざしたが、その基盤をつくっている学歴優先主義は問題にしていなかったようである」と指摘している。

 実際、赤軍派創設時の最高指導部「政治局」の7人をみると、議長の塩見孝也氏をはじめ京大が4人。早稲田大1人、同志社大1人、大阪市大1人と上場企業の役員リストといっても違和感のないようなメンバーが並んでいる。

 学生運動もやはり学歴社会だったのだろうか。東京大学の学生だった元闘士(60)に尋ねると「学歴ですべてを決めることはなかったと思うが、東大には東大なりの、私大には私大なりの役割分担があった」と話し、次のようなエピソードを教えてくれた。

 「東大はバリケードの作り方があまりにも貧弱で、日大全共闘が強固なバリケードに作り直してくれたこともあった。やはり東大は勉強ばっかりのおぼっちゃまで、力仕事は苦手だったのだろう」

 右翼学生たちとの衝突が日常茶飯事だった日大全共闘には、強固なバリケードをつくるための特殊チームもあったという。この元闘士は「組織をつくれば、ピラミッド構造にならざるをえない。名称はともかく指揮官、参謀、兵隊という区分けが存在するのは当然でしょう。指揮官や参謀には頭脳が必要だし、兵隊には体力がないとダメ。これは自然な発想ではないか。時代や思想とは関係のないことだと思います」。

 彼らが後に歩んだ人生も大学によって大きく分かれた。むろん、指導者になったばかりに人生の大半を獄中で過ごした“学歴エリート”もいたが、大半の学生は何ごともなかったかのように社会人となり今、定年退職の時期を迎えている。関西の私大で学生運動をしていた元闘士(58)は言う。

 「私が知っている範囲でも、東大出身の元闘士はその後、弁護士や学者といった社会的地位の高い職業についており、有名私大の連中もそこそこの企業で出世した。ただ、中堅私大の元活動家たちは就職活動も難しく、最近もリストラや倒産などで厳しい人生を強いられている。そうした構図は現代の学生とほとんど同じであり、やっぱり日本は東大を頂点とした学歴社会なんです」

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