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「ピンク大は前へ!」大学で序列化…学生運動も学歴社会

20081227-00000586-san-soci-view-000.jpg 「機動隊が来たら、『ピンク大のやつらを前に行かせろ、ピンク大は前へ』なんて叫んでいましたね」。同志社大学全学闘(全共闘)のメンバーだった元闘士(60)は大学紛争時の“学閥”について興味深い話を始めた。

 ピンク大とは桃山学院大学のこと。「桃」の頭文字から、そう呼ばれていたが、逮捕の恐れのある危険な場所に他大学のメンバーを行かせ、いわば「人身御供になれ」という乱暴なかけ声だった。

 元闘士によると、関西の場合、入試の難易度順そのままに、作戦立案は京都大の学生で、現場指揮官は同志社大、前線には桃山学院大やそのほかの学生が出て行くことが少なくなかったという。

 「権威」に反発し、「大学解体」まで叫んだ彼らが、現実の闘争では「大学名」を前面に出す。

 このエピソードには「自分たちの闘いに、そのような序列はなかった」と反論する全共闘OBもいる一方、「全国全共闘のトップが、東大出身者だったという事実が、われわれもまた学歴社会につかっていた証拠だ」「セクトの細分化が進むにつれて大学による序列が次第にできていった」と分析した人もいた。

 今となっては正確な事実の検証は難しいが、当時を知る警察OBは「運動の指導者は国立大の学生に多く、われわれとしても逮捕したら起訴に持ち込みたかった」と振り返り、こう指摘した。

 「前線の『兵隊』なんて一晩留置されて釈放されるケースも多かった。指導者たちもそこが分かっていたからこそ、前線に無茶をさせ、自らが逮捕されれば、組織が壊滅させられるほどのダメージを受けると考えていた。結果として彼らの内部にも大学による序列化のようなものが生まれたのではないか」

 東大・安田講堂の陥落から約10カ月が経過した昭和44年11月5日、山梨県内の山荘「福ちゃん荘」で、宿泊中の赤軍派メンバー53人が凶器準備集合罪などで一網打尽に逮捕される「大菩薩峠事件」が起きた。

 赤軍派はその2カ月前に東京・日比谷公園で行われた全国全共闘結成大会で初めて登場した新左翼の最過激派。彼らは首相官邸占拠計画を立案し、大菩薩で軍事訓練をしようとして警察当局に見破られたのだ。当時、全共闘運動は下降線に入っており、運動から距離を置く学生が増えていた半面、さらに過激な行動に活路を見いだすグループが出始めた時期でもあった。

 この赤軍派の組織構造について、ハワイ大学のパトリシア・スタインホフ教授は、その著「日本赤軍派」(1991年)の中で社会学的視点から分析している。着目したのは、事件で押収された組織図のノート。トップには一流大学出身者ばかりが並び、次いで書かれたサブリーダークラスには、入学難易度の高くない私大の学生たちが記載されており、最底辺には青年労働者や高校生の名前が記されていた。

 スタインホフ教授は「あたかも日本のビジネス界の縮図」と表現し、「赤軍派は国家権力打倒をめざしたが、その基盤をつくっている学歴優先主義は問題にしていなかったようである」と指摘している。

 実際、赤軍派創設時の最高指導部「政治局」の7人をみると、議長の塩見孝也氏をはじめ京大が4人。早稲田大1人、同志社大1人、大阪市大1人と上場企業の役員リストといっても違和感のないようなメンバーが並んでいる。

 学生運動もやはり学歴社会だったのだろうか。東京大学の学生だった元闘士(60)に尋ねると「学歴ですべてを決めることはなかったと思うが、東大には東大なりの、私大には私大なりの役割分担があった」と話し、次のようなエピソードを教えてくれた。

 「東大はバリケードの作り方があまりにも貧弱で、日大全共闘が強固なバリケードに作り直してくれたこともあった。やはり東大は勉強ばっかりのおぼっちゃまで、力仕事は苦手だったのだろう」

 右翼学生たちとの衝突が日常茶飯事だった日大全共闘には、強固なバリケードをつくるための特殊チームもあったという。この元闘士は「組織をつくれば、ピラミッド構造にならざるをえない。名称はともかく指揮官、参謀、兵隊という区分けが存在するのは当然でしょう。指揮官や参謀には頭脳が必要だし、兵隊には体力がないとダメ。これは自然な発想ではないか。時代や思想とは関係のないことだと思います」。

 彼らが後に歩んだ人生も大学によって大きく分かれた。むろん、指導者になったばかりに人生の大半を獄中で過ごした“学歴エリート”もいたが、大半の学生は何ごともなかったかのように社会人となり今、定年退職の時期を迎えている。関西の私大で学生運動をしていた元闘士(58)は言う。

 「私が知っている範囲でも、東大出身の元闘士はその後、弁護士や学者といった社会的地位の高い職業についており、有名私大の連中もそこそこの企業で出世した。ただ、中堅私大の元活動家たちは就職活動も難しく、最近もリストラや倒産などで厳しい人生を強いられている。そうした構図は現代の学生とほとんど同じであり、やっぱり日本は東大を頂点とした学歴社会なんです」
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