極鬼舎
INTERNATIONAL
[18] [17] [16] [15] [14] [13] [12] [7] [5] [4] [6]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ふるた・だいじろう
1900年東京生まれ。父は陸軍
主計官だった。麻布中から早
大高等予科・大学部に進むも
、幸徳秋水の「社会主義神髄」
などに影響を受けて左翼運動
を始め、中途退学。22年にア
ナーキスト集団「ギロチン社」
を中浜鉄とともに創設。強盗
略奪・爆弾製造・テロを繰り
返し、25年、死刑に処された。
明治末期から大正にかけての無政府主義者たちの運動は、権力による激しい弾圧にさらされた。彼らを勢いづかせてしまうと足元が揺らいでくるという権力者の危機意識が、大逆事件や大杉栄の惨殺といった弾圧に結びついていった。
日本が戦争の道に突き進むなかで、治安維持につとめたのは自然な流れであった。やがてほとんどの社会主義者・無政府主義者のグループは活動不能に陥っていく。苦しむ抵抗者たちからは、おのずと社旗改良への志向よりも破壊的な気分に支配されたテロリストが数多く出現していった。
権力に殺害された大杉栄の側近だった和田久太郎は、復習のために福田雅太郎大将(関東大震災時の戒厳令官)暗殺を企て、ピストルで狙撃したが失敗する。この和田や村木源次郎らの無政府主義者グループと協力体制を敷いていたのが、「ギロチン社」の古田大次郎と中浜鉄である。
古田と中浜の狙いは、当然、やんごとなき人物へのテロだった。
病弱だった大正天皇にかわり、公務の中心をいた摂政宮(のちの昭和天皇)に狙いを定めていた。
しかしこれは実行に至らず、他の権力サイドを対象とした爆弾テロを続々と仕掛けていった。彼らは、本富士警察署や、東海道線の鉄橋に爆弾を仕掛けた。だが、これらは不発に終わる。また、銀座の線路に仕掛けたダイナマイトは爆発したが、人への被害は出なかった。
テロをする資金は、企業に因縁をつけて脅し取る行為によって調達されていた。こうした行為は、「リャク」と呼ばれ、繰り返された。しかしその大半が遊興費に消えていったという。
また、彼らは強盗にまでも及んでいた。大阪の十五銀行玉造支店小阪派出所で、行員二人からカネを強盗しようとして、乱闘となり、古田は銀行員の一人を刺殺してしまう(小坂事件)。殺人にまで至りながらも、この事件でカネを奪うことはできなかった。
古田をはじめギロチン社のメンバーは24年までにはほとんど逮捕され、破滅することになった。そして古田も中浜も死刑に処された。 (栗原正和氏)より引用
PR
Comment
Trackback
TrackbackURL
プロフィール
HN:
赤天の霹靂
性別:
非公開
最新CM
[02/06 orionseijin_cacacakah]
[02/06 orionseijin_cacacakah]
[02/06 orionseijin_cacacakah]
[02/06 orionseijin_cacacakah]
[02/06 orionseijin_cacacakah]
最新記事
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター