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【さらば革命的世代】第3部(2)闘争の舞台はネットへ

■暗黙のルール

 「
全共闘史」のなかで、11月22日は記念日の一つなのだという。昭和43年のこの日、東京大学の安田講堂前で「東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会」が開かれ、両大学の全共闘が合流したとされる。今年、40年後の記念日に日大全共闘のOBたちは、安田講堂にほど近いホテルの宴会場で同窓会を開いていた。

 乾杯の音頭をとったのは、日大
全共闘の元議長、秋田明大さん(61)。瀬戸内の島で自動車修理工場を営む秋田さんが上京することはめったにない。

 「こういう場に立つのは40年ぶり。私がそうだから言うわけではありませんが、みなさんも紆余(うよ)曲折しながら頑張ってこられたと思います。とにかく、あさってではなく、明日に向けて頑張っていきたいです」

 短いあいさつだったが、元闘士たちは満足そうに拍手を送った。周囲から声をかけられるたび、秋田さんは丁寧に頭を下げた。

 会場を訪れたのは、日大だけでなく、東大、早稲田大などの元闘士ら約90人。会場にはプロジェクターで当時のモノクロ映像が
された。バリケード、立て看板、ヘルメット…。若き日の映像を前に、白髪の元闘士たちが興奮しながら順番にあいさつに立つ。

 「最近思い立って、地域の環境運動などに取り組んでいます。私の闘争の原点は日大闘争です」「ここに来ると考えただけで、久しぶりにデモにいくような高揚感がありました」…。中には、「人生のなかであんなに面白い時間はなかった」と話した人もいた。
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暴徒か知性の反乱か 東大生も関心抱く40年前の運動

■「今も見えない」
 11月23日、東京大学駒場キャンパス。定員350人の教室は立ち見が出るほどの盛況だったが、その8割近くが
団塊の世代だった。学園祭企画で開かれたシンポジウム「今、語られる東大、学生、全共闘」。ジャーナリストで東大特任教授の立花隆さん(68)のゼミ生らが企画したものだ。
 壇上に上がったのは、最首(さいしゆ)悟さん(元東大助手共闘)ら3人の元闘士。最首さんは「若い諸君には分からないと思うが、当時の教授は恐ろしい存在だった。その権威を壊したのが
全共闘。大衆団交で、なぜ研究するのかという問いにきちんと答えられた教授はほとんどいなかった」。
 別の元闘士は「今の状況なら学生運動はしてなかった」「壇上から何かを訴えることは快感だった」と当時の心境を告白。現在は弁護士という元闘士は、今の学生について「シューカツという言葉があるが、大学が労働力を商品として自己形成するだけの場所になっている」と分析した。
 立花さんは昭和44年1月の安田講堂陥落の現場に立ち会った一人でもある。文芸春秋を退社し、東大に再入学していたころで、「学生兼ジャーナリスト」の立場で報道腕章を付けて取材したという。立花さんは「東大闘争がそもそも何だったのか。あるいは、あの時代は何だったのか。当時は自分でもよく見えなかった。今もそうであり、今日もそれが見えているという立場でもありません」と話し、さらにこう付け加えた。

「ピンク大は前へ!」大学で序列化…学生運動も学歴社会

20081227-00000586-san-soci-view-000.jpg 「機動隊が来たら、『ピンク大のやつらを前に行かせろ、ピンク大は前へ』なんて叫んでいましたね」。同志社大学全学闘(全共闘)のメンバーだった元闘士(60)は大学紛争時の“学閥”について興味深い話を始めた。

 ピンク大とは桃山学院大学のこと。「桃」の頭文字から、そう呼ばれていたが、逮捕の恐れのある危険な場所に他大学のメンバーを行かせ、いわば「人身御供になれ」という乱暴なかけ声だった。

 元闘士によると、関西の場合、入試の難易度順そのままに、作戦立案は京都大の学生で、現場指揮官は同志社大、前線には桃山学院大やそのほかの学生が出て行くことが少なくなかったという。

 「権威」に反発し、「大学解体」まで叫んだ彼らが、現実の闘争では「大学名」を前面に出す。

 このエピソードには「自分たちの闘いに、そのような序列はなかった」と反論する全共闘OBもいる一方、「全国全共闘のトップが、東大出身者だったという事実が、われわれもまた学歴社会につかっていた証拠だ」「セクトの細分化が進むにつれて大学による序列が次第にできていった」と分析した人もいた。

 今となっては正確な事実の検証は難しいが、当時を知る警察OBは「運動の指導者は国立大の学生に多く、われわれとしても逮捕したら起訴に持ち込みたかった」と振り返り、こう指摘した。

 「前線の『兵隊』なんて一晩留置されて釈放されるケースも多かった。指導者たちもそこが分かっていたからこそ、前線に無茶をさせ、自らが逮捕されれば、組織が壊滅させられるほどのダメージを受けると考えていた。結果として彼らの内部にも大学による序列化のようなものが生まれたのではないか」

 東大・安田講堂の陥落から約10カ月が経過した昭和44年11月5日、山梨県内の山荘「福ちゃん荘」で、宿泊中の赤軍派メンバー53人が凶器準備集合罪などで一網打尽に逮捕される「大菩薩峠事件」が起きた。

 赤軍派はその2カ月前に東京・日比谷公園で行われた全国全共闘結成大会で初めて登場した新左翼の最過激派。彼らは首相官邸占拠計画を立案し、大菩薩で軍事訓練をしようとして警察当局に見破られたのだ。当時、全共闘運動は下降線に入っており、運動から距離を置く学生が増えていた半面、さらに過激な行動に活路を見いだすグループが出始めた時期でもあった。

 この赤軍派の組織構造について、ハワイ大学のパトリシア・スタインホフ教授は、その著「日本赤軍派」(1991年)の中で社会学的視点から分析している。着目したのは、事件で押収された組織図のノート。トップには一流大学出身者ばかりが並び、次いで書かれたサブリーダークラスには、入学難易度の高くない私大の学生たちが記載されており、最底辺には青年労働者や高校生の名前が記されていた。

 スタインホフ教授は「あたかも日本のビジネス界の縮図」と表現し、「赤軍派は国家権力打倒をめざしたが、その基盤をつくっている学歴優先主義は問題にしていなかったようである」と指摘している。

 実際、赤軍派創設時の最高指導部「政治局」の7人をみると、議長の塩見孝也氏をはじめ京大が4人。早稲田大1人、同志社大1人、大阪市大1人と上場企業の役員リストといっても違和感のないようなメンバーが並んでいる。

 学生運動もやはり学歴社会だったのだろうか。東京大学の学生だった元闘士(60)に尋ねると「学歴ですべてを決めることはなかったと思うが、東大には東大なりの、私大には私大なりの役割分担があった」と話し、次のようなエピソードを教えてくれた。

 「東大はバリケードの作り方があまりにも貧弱で、日大全共闘が強固なバリケードに作り直してくれたこともあった。やはり東大は勉強ばっかりのおぼっちゃまで、力仕事は苦手だったのだろう」

 右翼学生たちとの衝突が日常茶飯事だった日大全共闘には、強固なバリケードをつくるための特殊チームもあったという。この元闘士は「組織をつくれば、ピラミッド構造にならざるをえない。名称はともかく指揮官、参謀、兵隊という区分けが存在するのは当然でしょう。指揮官や参謀には頭脳が必要だし、兵隊には体力がないとダメ。これは自然な発想ではないか。時代や思想とは関係のないことだと思います」。

 彼らが後に歩んだ人生も大学によって大きく分かれた。むろん、指導者になったばかりに人生の大半を獄中で過ごした“学歴エリート”もいたが、大半の学生は何ごともなかったかのように社会人となり今、定年退職の時期を迎えている。関西の私大で学生運動をしていた元闘士(58)は言う。

 「私が知っている範囲でも、東大出身の元闘士はその後、弁護士や学者といった社会的地位の高い職業についており、有名私大の連中もそこそこの企業で出世した。ただ、中堅私大の元活動家たちは就職活動も難しく、最近もリストラや倒産などで厳しい人生を強いられている。そうした構図は現代の学生とほとんど同じであり、やっぱり日本は東大を頂点とした学歴社会なんです」

共産党委員長、経団連幹部と初会談へ 雇用問題で18日

shii-p.jpg 共産党の志位和夫委員長は18日、日本経団連の田中清専務理事と都内のホテルで会談し、年末に向け深刻化する雇用問題への対応について要請する。「双方の幹部が公式にテーブルにつくのは初めて」(同党関係者)という。

 会談は共産党側からの申し入れを経団連側が受け入れた。雇用問題をめぐり志位委員長は5日、麻生太郎首相との異例の首脳会談を実現させるなど、メディアへの露出作戦を精力的に展開しており、経団連幹部との会談もその延長線上にあるとみられる。

松田龍平主演で「蟹工船」を映画化

 発表から約80年たって、今年ブームになった小説「蟹工船」が俳優松田龍平(25)6fc145a1.jpg主演で映画化されること   が11日、分かった。メガホンを取るのは「疾走」などで知られるSABU監督(43)。労 働者たちの闘いが現代にも通じる物語であるととらえ、あえて時代を特定しない設定にし「ポップな『蟹工船』にしたい」としている。今月末クランクインし、来年公開予定。海外配給も視野に入れている。

 プロレタリア(労働者階級)文学の筆頭にあげられる小林多喜二原作の「蟹工船」は29年に発表された。オホーツク海でカニを取り加工まで行う船を舞台に、労働者たちと雇用者側の闘いを描いた。小林の没後75年の今年、新聞などで取り上げられたことで見直され、今年だけで60万部を売り上げた。53年に山村聡さん監督、主演で映画化された以外は映像化されていない。

 原作には特定の主人公がいないが、映画では、他の労働者に蜂起を呼び掛ける男、新庄を松田龍平が演じる。リーダーになれるカリスマ性があると、起用された。松田は「SABU監督と蟹工船をやれることをとても楽しみにしています。おもしろい映画になると思います」と話している。また、労働者を監督する浅川役は西島秀俊が演じる。 img15926fadzikbzj.jpg

 労働者階級の闘いを描いた同作は、格差社会と言われ失業者があふれる現代に通じる部分がある。しかしSABU監督は、声高に問題を叫ぶ作品にはしない意向で「テーマはきちんと描きますが、説教くさくはしたくない。エンターテインメントで、ポップな『蟹工船』になると思います」と話している。

 また、今年に入って起こったブームよりも、船という密室で物事が進む設定に魅力があったと言う。「蟹工船というとっても変な船で巻き起こる珍騒動。設定がまずおもしろいと思いました。原作を読んですぐに映像が思い浮かびました。ブラックユーモアたっぷりに描きます」。

 さらに、時代設定を明確に特定しないことも特徴になる。船内の寝床はカプセルホテルのようでいてタコつぼのようになる。美術や衣装にもこだわり、ポップな雰囲気を強調するという。船の揺れもCGも使ってリアルに表現する。SABU監督作は国際的にも評価も高く、今作も海外映画祭なども視野に入れている。

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